娘の小学校入学をきっかけに、家族で大磯へ
JRの大磯駅を降りて、遠くに海を眺めながら、左手の道をくだっていく。
国道1号線から一本路地へ入ると、「ATELIER SANTi(アトリエ サンティ)」の立て看板が見えてくる。
石垣の階段の先には、心地いい緑に囲まれた古民家が佇む。
大磯にある「ATELIER SANTi」は、鎌倉御成町で人気を集めるジェラート店「GELATERIA SANTi」の姉妹店だ。自然食材でつくるジェラートだけでなく、パンや焼き菓子、自家焙煎のコーヒーを味わえる。
鎌倉と大磯、そして西伊豆にお店を構える「SANTi」のオーナー松本愛子さんは、
「生活の拠点をもっとお店の近くにしたい」と、
2023年、子どもが小学校にあがるタイミングで、大磯へ家族で移り住んだ。
「大磯は、自然豊かな田舎ですが、どこか鎌倉とも通じるような、
文化的な要素のある街だなという印象を持っていました。
また、公園に行ったとき、いろんな年齢の子どもたちが一緒に遊んでいる姿を見て。
昔ながらの地域のつながりを感じて、いいなと思ったことを覚えています」
生まれは新潟県の海の近く。
都会に憧れ、はやく田舎を出たかったという松本さんは、大学進学とともに上京した。
その後、学生の頃から遊びに来ていた湘南に移り住み、
卒業後は都内で公認会計士として働きながら、休日にはサーフィンを楽しむ日々を送っていた。
そんな松本さんの人生を大きく変えたのが、新婚旅行だった。

世界を旅して見つけた、自分が届けたい味
松本さんのジェラートとの出会いは、2014年に遡る。
新婚旅行で2年間、50ヶ国以上を巡るなかで、
本場イタリアで出会ったジェラートに心を奪われた。
「イタリアでは、どんな小さな街にもジェラート屋さんがあって、
子どもからお年寄りまで、たくさんの人に愛されているんです。
日本でも、そんな風景をつくれたらいいなと思ったのが、最初のきっかけです」
ジェラートのおいしさに衝撃を受けて、旅を続けるあいだも、
ジェラートのビジネスとしての可能性を探り続けたという。
「アメリカなど先進国を旅しているときは、物資は豊かなのですが、
加工品や大量生産された工業製品に食生活が偏ってしまったときがあって。
一方で、南米やアフリカなどの途上国の旅では、食べ物の種類は少ないし、手に入るものも限られているけれど、その土地で育つものやつくられたものを食べていました。
農薬なども貧しい地域では使えないので、自然に育つものを食べていましたが、
不思議と、その時の方が身体の調子がよかったのです。
その実体験があって、土地にあった食事や豊かさについて、
思いを巡らせるようになりました」
ジェラートなら、自分が考える食との向き合い方も表現できる。
やりたいという気持ちが、確信へと変わった。
旅の途中にもう一度イタリアを訪れると、
現地のジェラート学校に入り、ジェラートづくりの技術をゼロから学んだ。
日本に帰国した後は、鎌倉にジェラート店をひらくという目標のもと、
物件探しや、パートナー探しなど、開業の準備をすすめていった。
そして、2018年。
鎌倉駅西口の近くに、1号店となる小さなお店「GELATERIA SANTi(ジェラテリア サンティ)」をオープンした。
店名の「SANTi」の由来は、松本さんが旅の途中で読んでいた小説『アルケミスト』の主人公の名前から。大切なものを探しに旅に出たが、じつは足元にあったという物語だ。
旅をするときのワクワク感や、身近にあるものを大切にする気持ちを忘れないように、と名付けたのだそう。

「私たちのお店では、安心で安全な、しっかりしたものづくりをしながら、日常のなかに少しほっとする瞬間や、新しい発見を楽しむ気持ちを感じていただけたらと思っています」
鎌倉を選んだのは、国内外から人が訪れる観光地であることに加え、地産地消や自然素材に関心を持つ人が多い街だと感じていたから。そんな土地なら、自分たちのものづくりにも共感してもらえるのではないか、という期待があった。
その後、2021年に西伊豆への出店の誘いを受けて、ジェラートとパンのお店「GELATO & BAKE SANTi」をオープン。さらに、もう少し広い製造アトリエを兼ねたお店をつくりたいと物件を探し、縁があった大磯に「ATELIER SANTi」を2022年にひらいた。
運良く、広々とした古民家が見つかったので、古い味わいを残しつつも、開放的な空間にリノベーション。ジェラートだけでなくパン、焼き菓子、コーヒーも楽しめる、落ち着いたカフェ空間にしあげた。
開店時間から近所の人がふらっと立ち寄る姿が見られ、
小屋のような鎌倉の店舗とは、また違ったSANTiらしさが感じられる。
ちょうどその頃、どこかのお店の近くに、家族の住まいも移したいと考えはじめていた松本さん。大磯のお店を営むなかで、地域の魅力に触れ、自然と「ここで暮らしたい」と思うようになった。
大磯で見つけた、ちょうどいい“田舎暮らし”
松本さんが手がけるSANTiには、
季節の果物やハーブなど、そのときどきの旬をいかしたジェラートが並ぶ。
小さな子どもも安心して食べられるように、
人工添加物を使わないものや、なるべく自然栽培で無農薬のものを選ぶ。
また、近隣の地域で育ったものを使うことにもこだわっている。
たとえば、大磯の自然養鶏の平飼い卵を使ったバニラ、
横須賀の嘉山農園の朝採れいちごでつくるソルベ、
茅ヶ崎の熊澤酒造の酒粕を使ったジェラート、など。
地域で育まれた素材の背景には、
生産者とのつながりも息づいている。

大磯に家族で暮らしはじめて3年が経った今。
松本さんは、ちょうどいい“田舎暮らし”を楽しんでいる。
休みの日には、小田原や伊勢原方面に出かけたり、海にも山にも遊びに行く。
お肉屋さんや魚屋さん、八百屋さんなど、一本道をまわって買い物をするのも楽しい。
隣の平塚まで行けばショッピングモールもあるし、東京までも東海道線で一本で行ける。
閉ざされた環境ではなく、ほどよく周りの自然や都会を享受できる距離感が心地いいという。
「小さな街なので、どこかで誰か知り合いがつながっているような、匿名性の低さのようなものを感じます。それがかえって懐かしくて安心感がある。わたしはすごくいい街だなと思っています」
人と人のつながりが息づく大磯の暮らし。
その空気は、SANTiのジェラートにも、やさしく溶け込んでいるようだった。
Interview / text
西谷 渉
Photograph
中村ナリコ